文化財巡りで知る田町
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本芝公園の雑魚場跡(芝4丁目)
本芝公園はJRの線路ぎわにあります。江戸時代にはこのあたりが海岸線で魚問屋があり、江戸前の魚を供給していましたが、幕末から衰退し、やがて海苔の養殖業へと転換しました。昭和30年代の末までは海苔採取などの拠点で、海苔船が出入りしていました。
水野監物(けんもつ)邸跡(芝5丁目)
慶應仲通り商店街が折れ曲がる角の外側に標識があります。この一帯は岡崎藩水野家芝三田屋敷でした。元禄の忠臣蔵事件を起こした赤穂四十七士のうち、ここ水野家では9人を預かりました。約2ヶ月後に9人はこの屋敷で切腹しました。
慶應義塾図書館(国指定重要文化財、三田2丁目、慶応義塾大学構内)
慶應義塾大学の構内には、西洋スタイルの建築から機能性を重視したモダニズム建築まで、明治・大正・昭和の時代ごとの歴史的建築物がキャンパスを形成しています。そのうち図書館は明治45年竣工、赤と白の対比を見せるゴシックスタイルです。
大学関係者でなくとも、個人の場合は大学構内を事前申し込みなしで見学できるとのことです。(慶応義塾大学のホームページ、三田キャンパスの見学 )
慶應義塾図書館を桜が飾ります。
慶應義塾三田演説館(国指定重要文化財、三田2丁目、慶応義塾大学構内)
明治8年に日本最初の演説会堂として開館しました。2階のギャラリーを持つ吹き抜けのホール、玄関ポーチなど洋風要素を持ちつつ、外壁は蔵のようななまこ壁になっており、和洋折衷の趣です。「擬洋風」と呼ばれる建築様式です。窓から中を見ることができますが、1階には古びたニス塗りの椅子がずらっとならんでいて、まるで映画「コクリコ坂から」に出てきた演説会場のようです。
荻生徂徠墓(国指定史跡、三田4丁目7-29、長松寺内)
江戸時代中期の儒学者で柳沢吉保に仕えました。そののち日本橋茅場町に学塾を開き、古文辞学派の祖と言われます。長松寺は三田4丁目の寺町の中にあります。
放送記念碑(芝浦3丁目3-6、東工大付属科学技術高内)
日本で最初に無線放送が行われた場所は田町でした。大正13年、東京高等工芸学校(千葉大学工学部の前身)の図書室に東京放送局(現NHK)仮局舎が置かれ、翌年3月から試験放送に続いて仮放送が始まりました。7月に愛宕山から本放送が始まるまでは、ここが仮放送の場所でした。
記念碑は高校の敷地の角地に建っています。外から自由に見ることができますが、ペディストリアンデッキの下、階段の裏側から駅方向に戻った分かりにくい場所にあるのでご注意ください。
元和キリシタン遺跡(都指定旧跡、三田3丁目7、住友不動産三田ツインビル西館公開空地内)
徳川家光が、元和9年(1623)に50人のキリシタンを処刑した刑場の跡と言われています。
ここはもと智福寺の寺地です。処刑場であった場所に寺を建てることで罪人が浮かばれると考えられたそうです。
最初のフランス公使館跡(都指定旧跡、三田4丁目16-23、済海寺内)
安政5年(1858)に締結された日仏通商条約によって、翌年にフランス公使宿館となりました。明治3年に公使館が引き払われるまで使用されました。
亀塚(都指定史跡、亀塚公園内)
古墳時代以後に作られた人工の塚で、その形から亀塚と呼ばれています。塚の下からは弥生時代の土器が出土しています。
三田台公園(三田4丁目17-28)
区で初めての遺跡公園です。伊皿子貝塚で発見された縄文時代後期の竪穴住居を復元しています。中には4体の人形があり、当時の生活の様子を再現しています。また、貝塚断面が展示されています。